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大阪地方裁判所 昭和50年(ヨ)3212号 決定

申請人 藤原篤樹

右代理人弁護士 西本徹

同 豊川義明

被申請人 東亜ペイント株式会社

右代表者代表取締役 児玉豊治

右代理人弁護士 門間進

主文

一  申請人が被申請人の従業員である地位を仮に定める。

二  被申請人は申請人に対し、昭和五〇年八月二一日以降毎月二五日限り金一一万一四四八円の割合による金員を仮に支払え。

三  申請費用は被申請人の負担とする。

理由

一  申請人は主文同旨の判決を求め、被申請人は「本件仮処分申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする。」との裁判を求めた。

二(一)  被申請人は、肩書地に登記簿上の本店ならびに本社事務所を置き、東京に支店、横浜、名古屋、福岡、静岡等全国十数都市に営業所を設け、大阪、東京、茨城の三工場を有し、資本金一〇億円、従業員約八〇〇名の塗料、顔料その他化学工業品の製造販売を主要業務とする株式会社であり、申請人は昭和四五年三月同志社大学工学部を卒業後同年四月被申請人に雇傭され、大阪工場技術二課に配属されたが、その後化成品事業部化成品研究課を経て化成品部大阪技術部化成品技術課へ配転となり、現在に至るまで主として酢酸ビニル樹脂エマルジョン系接着剤の研究、開発、改良に従事してきた。

(二)  被申請人は、昭和五〇年二月一八日付をもって、申請人に対し静岡営業所へ向う六ヵ月間長期出張すべき旨の業務命令(以下本件出張命令という)を発し、申請人がこれに従わなかったため業務命令違反(就業規則六八条六号)を理由に、申請人に対し同年八月二〇日付をもって懲戒解雇する旨の意思表示(以下本件解雇という)をした。

以上(一)、(二)の事実は当事者間に争いがない。

そして、申請人は、本件出張命令は不当労働行為、労働協約所定の事前協議約款違反、労働契約違反のいずれかの理由により無効であるから、本件解雇もまた無効であり、仮に本件出張命令が有効であるとしても本件解雇は解雇権の濫用として無効である旨主張するのに対し、被申請人は、本件出張命令は業務上の必要に基づく有効なものであり、これに従うのを拒否したことに基づく本件解雇も当然有効である旨主張するので以下検討する。

三  不当労働行為の主張について

(一)  申請人の組合活動とこれに対する被申請人および組合の態度

疎明によれば、次の事実が認められる。

1  申請人は、入社後間もなく被申請人従業員をもって組織する東亜ペイント労働組合(以下組合という)の組合員となり、入社翌年の昭和四六年七月には組合西部(組合大阪工場支部と大阪事務所支部の総称。申請人は大阪工場支部所属。)青年婦人部長に選出され、さらに翌四七年七月には大阪工場支部職場委員、組合大会代議員に選出された。

申請人は、青年婦人部長に就任以降、常に同部員(二五歳以下の独身者)約一八〇名の先頭に立って政治問題に関するアンケート調査、外部講師招へいによる講演会開催、労働問題に関する各種学習会の開催、運動会、ハイキング等の各種レクリエーション行事の開催等多方面にわたる活発な組合活動を行なった。

2  申請人は、昭和四八年七月大阪工場支部執行委員に選出され、委員内部での役員互選により同支部情宣部長となったが、以後次のような教宣活動等を熱心に行なった(なお、情宣部といっても、他に申請人を補助する部員が何人もいる訳ではなく、情報収集、ビラ、情宣ニュースの作成は殆どが申請人のみによって行なわれた。)

(1) 昭和四八年一月被申請人大阪工場内の化成品重合工場において、重軽傷者一〇〇名余にも達する爆発事故が発生したが、申請人は、右事故は被申請人の生産至上主義、安全対策軽視に原因があったとの立場から、情宣ニュースにおいて被申請人の責任を厳しく追及するとともに、事故犠牲者の救済対策や今後の安全操業体制確立を繰り返し訴えた。

(2) 被申請人大阪工場においては、右爆発事故後の昭和四八年四月および一一月の二回にわたって、茨城工場へ多数の人員が配転となったが、遠隔地への転勤だけに個々の組合員に与える物心両面での影響も深刻で転勤の内示を受けて退職する者も続出する状況にあった。そこで、申請人は茨城工場への配転内示を受けた組合員の家庭を訪問し、配転に対する不安、悩み、希望その他種々の問題点についての事情聴取を行った。

(3) 昭和四九年三月、被申請人より休日を増やす代りに一日労働時間を一五分間延長するといういわゆる時短問題が提案されたが、組合中央執行委員会(以下組合中執という)はこれを受け入れることとし、組合各支部にその可否を問うたところ、五支部(大阪工場支部、大阪事務所支部、東京工場支部、東京支店支部、茨城工場支部)中大阪工場支部のみが右執行部提案を否決した。このような事態の背景には、申請人や同人と組合活動の路線のあり方について信条を同じくする当時の上田副支部長が、右執行部提案は実質的には時間短縮にならないとの判断に基づき、情宣ニュース等で問題点を指摘したことが大きく影響していた。

(4) その他、申請人は、組合中執、中央労使協議会(被申請人の経営、生産、労働問題全般に関する労使協議制度中の最高機関で、労使各八名の委員をもって構成されている。右協議会の下部機関として大阪、東京域にそれぞれ西部、東部各労使連絡会が設けられている。労使連絡会および中央労使協議会で協議不調となった問題は、団体交渉に移される。)における討論、協議の内容等をビラで逐一報告し、また春斗、年末、夏季一時金斗争の際には賃上げ斗争をめぐる内外の状況を情宣ニュースにおいて克明に報告し、組合側の賃上げ要求の正当性を強調するとともに、被申請人の主張する生産性基準原理、付加価値論等に対する反論を掲載したりした。このような積極的な教宣活動は、申請人の情宣部長就任以前は殆ど行われたことがなく、大阪工場支部の一般組合員の間ではおおむね好評であった。

(5) 前記のような申請人の活発な組合活動や教宣活動は次第に被申請人からも注目されるようになり、とくに茨城工場への配転内示者に対する家庭訪問については当時の深堀大阪工場長、緒方副工場長らが朝礼の場において、「この中に内示者の家をまわって転勤に応ずるななどと勧めてまわっている不埓な奴がいる。こういう人物にまどわされないようにして貰いたい。」などと事実上申請人の活動を名指しで指摘し、嫌悪の情をあからさまに表明した。

また、申請人の前記諸活動に対して、組合中執委員や大阪工場支部執行委員の相当数は、そのやり方が余りに過激で、組合員をあおり過ぎるものであるとの反感を抱くようになった。その結果、前記配転内示者の家庭訪問について、申請人は事情聴取の結果を情宣ニュースに掲載しようとしたが、当時の高崎支部長は会社を刺激するとの理由からこれを禁止し、組合中執の本多中央書記長は申請人を呼び、右訪問は統制違反行為になるから処分もあり得る旨警告した。

また、川上副支部長は一時金斗争の妥結金額について、各支部中大阪工場支部の反対がずば抜けて多いのは、申請人の煽動的教宣活動のせいである旨の非難を公然と表明した。

なお、前記時短問題についても、組合中執は、組合規約上疑義のある中執案の再提案を強行し、大阪工場支部へ組合中執委員が多数乗り込むという異常な状況下で再度の採決が行われ、辛うじて賛成多数で中執原案が可決されるに至った。さらに、昭和四九年七月、申請人が大阪工場支部執行委員に再選され、委員相互間で役員互選をした際、オブザーバーとして同席していた組合中執の本多中央書記長は申請人の情宣部長再任に強く反対したが結局容れられず、申請人の再任が決った。このようにして、申請人と組合中執とは、組合活動の路線のあり方に関する見解の相違から次第に対立関係を深めていった。

(二)  本件出張命令の業務上の必要性

1  被申請人は、本件出張命令の業務上の必要性ならびに人選の経緯について、大略左記(1)ないし(4)のとおり主張し、疎明によれば(4)(人選の経緯)を除いた(1)ないし(3)の事実を認めることができる。

(1) 被申請人は、本来の塗料製造販売に加えて、多角経営の一環として化成品部門への進出を企図し、昭和二九年頃エマルジョン重合の研究開発に成功し、昭和三二年被申請人大阪工場内に化成品重合工場を新設して本格的生産に乗り出した。そして、生産の増大に伴い、大阪工場内に化成品専門の技術係セクションが、大阪、東京にそれぞれ化成品専門の営業課が新設され、名古屋、九州、福岡、静岡各営業所には化成品専門担当員が配置される等機構の整備も逐次行われた。その後、事業も順調な発展をとげ、昭和四七年には被申請人の化成品生産量は月産約八〇〇トンに達した(このうち約七〇パーセントが合成樹脂接着剤、その余がアクリル合成ゴム等)。

(2) ところが、前記のとおり昭和四八年一月、大阪工場内の前記化成品重合工場において大規模な爆発事故が発生し、化成品の生産は全画的に停止してしまった。被申請人は緊急対策として、従来からの固定的大口ユーザーに対する在庫品の優先供給、他社製品の購入販売等最少限の営業活動を続行したが、販売量は激減し、過去のシェアも失う等化成品部門の受けた打撃は大きかった。

被申請人には直ちに化成品再建委員会が設置され、再建のための方策が検討されたが、結局諸種の事情から大阪工場の修復又は新設は不可能との結論になり、次善の策として日信化学株式会社との提携によって化成品部門の再建が図られることになった。その内容は、被申請人の機械設備を一部移設したうえ、化成品生産技術のノウハウを日信化学へ提供し、生産技術面の指導を行なう一方、製品の生産はすべて日信化学の武生工場で行ない、被申請人はそれを購入し、販売業務一切を引き受けるというもので、日信化学側は昭和五〇年二月末までに生産設備を完成させ、翌三月から本格的操業を開始し、被申請人側は同年四月以降九月までの六ヵ月間は月間四四三トン以上の化成品(内二六〇トンが接着剤関係)を販売するということが当面の実施目標とされた。

このため、被申請人内に昭和四九年六月「化成品販売戦力強化プロジェクトチーム」が組織され、前記四四三トンから社内消費分一一五トンを差し引いた三二八トンの販売計画、失地シェアの回復の方策等について検討がなされた結果、従来の大口消費地域である東京域と大阪域を中心にこれを消化していくこととなり、右方針に対応する同地域の化成品営業面強化のため、化成品部東京営業課、同部大阪営業課へそれぞれ一名の人員増強が決定され、いずれも同年九月中に配転が行われた。

(3) 前記販売戦力強化プロジェクトチームは、その使命を一応果したものとして同年九月末解散したが、同年一一月に至り、化成品部東京営業課よりその所管地域内の静岡営業所に化成品専任の人員一名を常駐させる必要があるとする要請が東京支店長を通じて被申請人人事部宛なされた。その理由とするところは、静岡は、東京域では東京都を除く鹿沼、高崎と並ぶ接着剤の大口需要地であり、かつては専任の駐在員も配置されたことがあり、前記爆発事故直前の昭和四七年には月間平均三〇トンないし四〇トンの販売量を記録していたのが、爆発事故以後の昭和四九年上期には有力ユーザーを次々に失ない販売量も皆無の状態になったこと、静岡での失地シェア回復、新規ユーザーの開拓は先行投資として必要性が大きいが、東京営業課は九月に人員が一名増強されたにも拘らず、東京近郊のユーザーの維持、回復に手一杯でとても常駐人員を派遣する程のゆとりがないというものであった。

(4) 従来、静岡地域において被申請人と取引のあった大口ユーザーは、いわゆる新建材の化粧合板二次加工メーカーであり、これらメーカーに対し被申請人は、ユーザーの要求に応じて単なるレディーメイド製品ではなく、大部分オーダーメイドの接着剤を供給してきたのであるが、このようなオーダーメイド製品の販売については、一応の受注営業活動に続く技術的サービスがどうしても要求されるので、被申請人としては東京営業課からの前記要請を相当であるとし、なお静岡地域の将来における拡販の見込み等を考慮のうえ、昭和五〇年早々から静岡営業所に接着剤関係に明るい技術者を常駐させることが必要であるとの結論に達した。被申請人には、化成品専任の技術者が配置されているセクションは大阪技術部化成品技術課しかないため(東京技術部には化成品技術課は設けられていない)、右常駐要員は同課から選任しなければならないこととなり、同課内の人員配置、申請人の専任分野(接着剤のうち一般用ならびに合板用接着剤担当)、配転ローテーション、将来の昇進等を考慮のうえ慎重に人選した結果、申請人を最適任と決定し、昭和四九年一二月一七日申請人に対し静岡営業所への転勤を内示した。申請人は、被申請人の度重なる説得に対しても頑強に転勤を拒否したが、静岡への技術者の派遣は緊急を要し、いつまでも放置することはできなかったので、昭和五〇年二月一八日期間を六ヵ月間とする本件出張命令を発したのである。

2  右1(1)ないし(3)の事実によれば、本件出張命令には正当な業務上の必要性があるとする被申請人の主張は、一応の根拠があるかの如くであるが、以下更に検討してみると幾多の疑問が生ずる。

(1) 静岡営業所への人員派遣の必要性に関する疑問

疎明によれば、大阪工場の前記爆発事故以前における被申請人の化成品販売量において、大阪域と東京域は両者合わせて全体の七〇ないし八〇パーセントと圧倒的な割合を占めており、次いで名古屋域が約一〇パーセント、さらに静岡営業所と九州営業所がそれぞれ四ないし八パーセントで続いていたことが認められる。したがって、静岡は、十数ヵ所ある被申請人の営業所中における化成品販売量の順位としては相対的に上位にあることは否定できないが、疎明によれば、その絶対的数量は、例えば被申請人の化成品生産の最盛期であった昭和四七年においても月間平均販売量は三四トンと、同年度における大阪の三七二トン、東京の二一一トンなどに較べても、被申請人の化成品売上実績全体に占める割合は四・八パーセントと極めて少ないものであり、さらに爆発事故後の販売量の減少度においても、大阪、東京両地域の激減度に較べれば比較的少なく、昭和五〇年度においても月間平均約一四トンの販売量を確保していたことが認められる。

このため、前記のとおり販売戦力強化プロジェクトにおいても日信化学との約定による化成品四四三トンの販売について、まず大阪、東京地域でこれを消化すべきものとして、化成品部大阪、東京各営業課の人員増強が行われたのであるが、反面右プロジェクトにおいて静岡への人員派遣問題が検討された形跡は見当らない。右のとおり、従前の販売量の絶対的大きさからみて当面の失地回復最重点地域として大阪、東京域が選ばれたのはむしろ当然といえるが、静岡への人員派遣問題は右プロジェクトが解散してわずか一ヵ月余り後東京営業課からの要請をきっかけとしていわば突然生じてきたものであって、右プロジェクト存続中に同問題が全く検討されなかったのはいささか不可解といわなければならない。疎明によれば、大阪技術部化成品技術課は最盛時の一三名から昭和四九年当時は約半分の七名に減員されており、前記のとおり同年九月には大阪営業課へ課員一名を転出させたうえ、残る課員のうち二名も日信化学での生産技術指導や他のプロジェクトチームでの活動に従事していたため極めて手薄(たとえば、一般接着剤関係の専任技術者としては申請人のみであった)で、実験要員にも事欠く様な状態だったことが認められるから、さらに一名の人員を技術課から削って静岡へ投入することは、技術課の体制維持という面からは深刻な問題であり、ひいては全社的観点からの適正人員配置の問題となるのである。したがって、静岡への人員派遣は、単にそれが望ましいというに止まらず、右プロジェクト解散後に生じた経済情勢、市況の動向等全く新たな事情の変化をもってして始めて首肯しうるものであるが、この点に関する疎明はない。

なお、被申請人は、静岡地域は単なる失地回復のみでなく、将来における新規拡販も有望との見通しを立てており、現に化成品部東京営業課の芳川喜徳が従前から屡々静岡へ出張して拡販活動をしていたため、昭和四九年秋頃までにはいわゆる営業的詰めのできていたところが五、六社あったから、静岡への人員派遣は急迫を要した旨主張するが、右主張に副うかの如き黒田課長の供述も具体性もしくは明確性に乏しく、的確な疎明とはいえない。むしろ疎明によれば、静岡営業所へ申請人の代替要員として派遣すべき人物の人選については昭和五〇年六月頃まで検討の対象にすらされたことはなく、現に化成品技術課から静岡地区へ技術者が単発的出張をしたこともなく、漸く同年九月に至り右芳川が常駐々在員として正式に赴任したことが認められる。また、右の失地回復、新規拡販との関連で、対象となる静岡地域における具体的ユーザー名の範囲が判然としないことも無視することができない。すなわち、従来被申請人の静岡地域における化成品(接着剤)の有力ユーザーとして富士合板、富士見化成、浜田木材の三社があったことは疎明によって明らかであるが(ただし、各社毎の取引数量は明らかでない)、それ以外に被申請人の主張する東木材、磯谷合板、天竜木材、坂政合板等については、いずれも取引関係があったことを裏付けるに足りる十分な疎明があるとはいえず、またこれら各社が新規開拓の対象として有望であったことを認めるべき疎明もない。

要するに、静岡営業所への人員派遣は、被申請人が主張するほど切実にして緊急を要したか否かについて、疑問を否定することができない。

(2) 派遣人員が技術者であることに関する疑問

疎明によれば、次の事実が認められる。

(イ) 従来、静岡地域において被申請人と取引のあった大口ユーザーは、ベニヤ合板に塩化ビニールシートやプリント紙を貼り合わせることを専業とするいわゆる化粧合板又はオーバーレイ合板メーカーであったがこれらメーカーはいずれも使用する接着剤の性能、品質について各社独自の要求を有する場合が多く、被申請人もこれに応じていわゆるレディーメイド品ではなく、オーダーメイド品(通称特定ユーザー向け)を供給していた。

(ロ) もっとも、オーダーメイド品といっても、それは、被申請人が有している各種酢酸ビニル樹脂エマルジョン系接着剤レディーメイド品(三〇〇ないし四〇〇種類)のうちから、メーカーの要求に性能、品質のできるだけ近いものを抽出し、更にこれに若干の濃度、粘度、PH(ペーハー)等の修正、調整を加えたものであって、化学的構造において全く異った新製品ではなかった。

(ハ) 右濃度、粘度、PHの修正受注は比較的簡単であり、従来被申請人においても経験を積んだ化成品専任の営業マンによって格別の支障なく処理されてきており(大阪、東京域は、静岡域以上にオーダーメイド品の受注が多いが、やはり殆どの受注が営業マンによって処理されていた)、技術者側から営業マンのもたらす技術的情報について不充分な点があるとの批判も出ていなかった。これは、被申請人の営業マンは、塗料部門、化成品部門を通じていわゆる理科系出身者は少なく、文科系出身者が大半を占めているため、被申請人において、入社以後折にふれて研修、説明会、技術資料の提供等を通じて最新の商品知識を習得させるべく講じていたところに負うところも大きかった。

なお、化成品部門の営業マンは、通常の場合合板用接着剤せんい加工用樹脂アクリル合成ゴムの三部門別にそれぞれ専業分化して営業活動を行なっている。

(ニ) もっとも、接着剤の性能、品質、使用方法に関しては、前記濃度、粘度、PHの他にも耐水性、熱加塑性、吸湿性、耐薬品性、耐候性、接着強さ、比重、塗布量・乾燥時間・プレス強さ等技術上の諸要素があり、売り込みの際これらすべての点についていちいち問題となることは余り多くはないが、たまたま問題点が生じた場合には、営業課からの要請により技術者がユーザーの許へ直接出向いて折衝、打ち合わせを行なっている。右以外に技術者がユーザーの工場へ赴くのは、オーダーメイド品の内容を決定すべき最終段階となるラインテスト(試作品をユーザーの工場にある塗布機に入れ、一定時間実際の生産ラインに流して合板への塩ビシートやプリント紙の接着状態を実験すること)を行なう際がこれにあたり、右場合における技術者の立会いはむしろ原則とされていた。

右認定事実によれば、従来、被申請人においては化成品、とくに接着剤の大口ユーザーに対する売込みに際して、技術者が当初から現地に継続して常駐することは全くなく、専任の営業マンによって受注活動の殆どは処理されていたことが明らかである。

なお、化成品部東京営業課から東京支店長宛静岡営業所への人員派遣を要請した昭和五〇年一一月一八日付文書中には、「化成品商品に精練した化成品専任の人員」なる文言があり、右文言自体からは技術者の意味に解しうる余地もないではないが、右文書中には、「かつて静岡に化成品駐在員を置いたこともあり」との文言もみられ疎明によれば、右駐在員とは、具体的には昭和四五年四月から九月まで六ヵ月間静岡営業所に常駐した藤本(技術者ではなく、生粋の営業マン)であることが認められるから、右「化成品専任の人員」が技術者であると断定することは困難である。むしろ、同営業課から昭和五〇年一月二三日付で提出された再度の要請文書には、明白に「駐在員」という文言が用いられていたのである。

以上の検討によれば、静岡営業所への人員派遣が仮に必要であったとしても、右人員は技術者ではなく営業マンではなかったかとの疑問を否定することができない。

(三)  配転内示から本件解雇に至る経過

1  被申請人は、昭和四九年一二月一七日直属上司である黒田化成品技術課長を通じて、申請人に対し静岡営業所への配転を内示した。これに対し申請人は、支部執行委員在任中であり、静岡への転勤は組合活動に多大の障害となること勤務地、職種のいずれも変更になること配転、人選の必要性について疑問があること等の理由を挙げて静岡への転勤を拒否した。上司の説得は一八日、一九日両日も行われたが、申請人の態度は変らなかった。

組合大阪工場支部も、執行委員に対する配転であることを重視し、同月二〇日支部三役会議を開いて協議した結果、申請人が同意しない以上、右配転には大阪工場支部としても同意できない旨の決議を行った。

ところが、被申請人は、同月二四日上田支部長が前記大阪工場爆発事故に関する事情聴取のため大阪地方検察庁から呼び出しを受けて出頭している間に、組合中執の本多中央書記長、大阪工場支部の川上副支部長、熊谷書記長らを大阪工場労務課へ呼び、申請人の配転の必要性について個別に説明を行なった。引き続いて、本来上田が召集すべき支部三役会議が、本多が出席したうえ開かれ、検察庁から戻り急拠遅れて参加した上田に対し、本多、川上、熊谷らはこもごも、会社の立場も充分理解できる、申請人をどこまでも守るのは疑問である旨を繰り返し述べた。さらに、本多は同月二六日開かれた大阪工場支部職場委員会においても、被申請人との正式協議を始めるべきであると主張する上田に対し、職場委員会段階で申請人の配転問題の決着をつけるべきである旨主張したが、職場委員中には未だ上田の支持者が多数を占めていたため本多の意見は採用されず、逆に同日開かれた支部執行委員会では、前記支部三役会議決議の確認が行われ、申請人に対する配転は、被申請人の組合執行権に対する介入であると受けとめ、今後被申請人と協議を重ねてゆく方針である旨の決議が採択された。大阪工場支部は右決議を背景として、同月二七日被申請人の配転問題に関する支部協議会の開催を申し入れたが、被申請人は現在は内示打診の段階であることを理由に右申し入れを拒否した。

2  年が明けた昭和五〇年一月九日、被申請人は申請人に対し、配転に代えて本件出張命令を内示したが、右内示直前にも本多、川上らは上田を除外して被申請人労務課の担当者と接触を続けていた。申請人は、本件出張命令は実質上の配転であるとして静岡赴任を拒否したので、大阪工場支部は同月二〇日支部協議会の開催を再度申し入れたが、被申請人は職制が申請人と折衝中であるとの理由で右申し入れに応じなかった。

他方、被申請人は、その後支部職場委員数名に対し、緒方副工場長、黒田課長らを通じて、申請人を本気で支持するのかどうか立場をはっきりさせよなどと迫り、暗に本多らと同一歩調をとるよう働きかけた。このため、同月三〇日開かれた支部職場委員会においては、大阪工場支部は申請人が被申請人と対等の立場で協議できる場を作るよう一応の尽力するが、もし協議不調となり、かつ赴任を前提とした条件面での折り合いもつかない場合は全面的に手を引き、以後組合としての支援は差し控えるとの意見が多数を占め、その旨の決議がなされることによって、前記支部三役会議、執行委員会各決議は事実上完全に覆される結果となった。

右職場委員会の決議をうけて、二月七日申請人も出席のうえ被申請人と大阪工場支部との協議が行われたが、申請人が依然静岡への赴任を拒否したため平行線となり、わずか三〇分で協議は打ち切られた。

そして、被申請人は、二月一八日午前中に木下技術部長を通じて申請人に対し、同月二四日付をもって静岡へ赴任すべき旨の本件出張命令を正式に通告した。さらに、被申請人は、同日午後大阪工場支部と最終協議の機会を持ち、これ以上協議を続けても平行線であるから打ち切りたい、既に発令したのだから中央労使協議会(以下中労協という)へ付議する意思もない旨宣言し、また組合も同月二一日開かれた中央執行委員会において、一月三〇日大阪工場支部職場委員会決議を尊重し、申請人の本件出張命令拒否問題についてこれ以上関与しない旨が確認された。これによって、同日引き続いて開かれた中労協にも申請人の問題は提出されなかった。なお、申請人は、二月二六日黒田課長から実験中のレポート提出、実験台、事務机の整理、私物の持ち帰りを命じられ、以後本件解雇に至るまで事実上全く仕事を取り上げられる状態が続いた。

このようにして、被申請人、組合いずれの側からも協議の機会を奪われ、事実上就労の場も失なった申請人は、最後の手段として、同月二八日本件出張命令の効力停止求める仮処分申請を大阪地方裁判所に行ない、右事件の第一回審尋期日が三月四日午後一時と指定された。なお、右仮処分申請事件において、申請人は、本件出張命令が実質上の配転(異動)であることを前提として、その無効理由のひとつとして、従業員の異動が労使連絡会、中労協の付議事項である旨(したがって、単なる支部段階での協議では足りない)ならびに本人の意向に反する異動が事前協議の対象である旨それぞれ定めた被申請人と組合間の労働協約に違反することを主張していた。

3  ところが、右仮処分申請がなされるや、被申請人は、前記のとおり二月一八日行われた大阪工場支部との協議において中労協に付議する意思はない旨明言していたにも拘らず、右仮処分申請がなされる以前の二月二六日、組合中執から、申請人を説得するため本件出張命令の実施留保の要請があったとして、三月五日行われた中労協において右留保を前提としたうえで二月二六日以降の組合の申請人に対する説得の成否について回答を求めるという形で、突如として本件出張命令の問題を付議するに至った(しかし、右留保の件について、被申請人から申請人に対しては何らの通告もなされなかった。)。

その後、本件出張命令の問題は、三月一二日の西部連絡会、同月一九日の中労協にも付議されたものの、前同様被申請人から組合に説得状況を質す程度に止まり、殆ど実質的議論の対象にはされなかった。そして同月二九日開かれた中労協において、組合は申請人に対する説得工作を断念する旨表明し、本件出張命令は結局業務上の正当な理由に基づくものと認めて前記留保の要請を取り下げることとし、被申請人もこれに応じて実施留保の解除を行なうこととし、四月二五日木下技術部長を通じ、申請人に対し改めて静岡営業所へ出張すべき旨を再度命じ、右命令に従わない場合は処分もありうる旨通告した。

しかし、申請人は依然として右命令にも応じなかったため、被申請人は業務命令違反を理由に申請人の懲罰問題を六月五日開かれた中労協に付議した。なお、この間大阪工場支部執行部の改選期を迎え、六月二五日行われた役員選挙において、申請人は書記長に、上田は支部長に立候補したが、いずれも組合中執側の推す対立候補に敗れ落選した。組合は、当初は出勤停止程度の懲罰に止めるべきであるとの見解であったが、右役員選挙後被申請人の提案する懲戒解雇もやむをえないとの対応に一転し、七月一〇日開かれた中労協において申請人の懲戒解雇が決議された。なお、その後の同月二四日開かれた昭和五〇年度定期組合大会においても、申請人を支持する代議員から提出された、申請人に対する懲戒解雇反対の緊急動議が否決されることにより、右中労協決議は組合側からも実質的に承認されることとなった。

4  右事実によれば、当初の配転内示から本件解雇に至る過程において、被申請人は、組合中執および大阪工場支部役員の一部が申請人の支援について消極的であることに便乗して、申請人の問題の処理をめぐる組合の動きに再三干渉していたことが明らかであり(疎明によれば、組合中執は、六月中旬これらの干渉が不当労働行為になるのではないかとの声が組合員から出た際、これを無視することができず、調査委員会を設置したが、結局前記定期組合大会において、右干渉は確かに存在したが特にプレッシャー的な形ではなかったから不当労働行為として成立するに至らないとの組合中執見解が、出席代議員の多数によって承認されたことが認められる。)、また申請人の仮処分申請後における本件出張命令の実施留保、中労協付議、留保の解除といったいかにも不自然な一連の事実は、本件出張命令が実質的に配転であるとすれば、労働協約上の事前協議義務違反になるとの申請人側の攻撃を回避するためとられた苦肉の裁判対策と解されてもいたし方のないところである。

(四)  以上(一)、(二)、(三)において検討したとおり、被申請人は申請人の組合活動を嫌悪していたこと、本件出張命令の業務上の必要性について払拭しがたい疑問があること、当初の配転内示から本件解雇に至る過程における被申請人の組合に対する干渉等を総合して考慮すれば、本件出張命令は申請人の活発な組合活動による大阪工場支部一般組合員に対する影響力を封じようとする意図のもとに発令されたものと認めるのが相当である。

なお、被申請人は、当初の配転内示が組合活動に支障を来すとの申請人の拒否理由をも充分考慮のうえ、長期出張に切り替えた旨主張するが、疎明によれば、黒田課長は六ヵ月経過後必ず申請人を大阪へ帰任させることの確約はできない旨明言し、むしろ出張期間の更新もありうる旨をほのめかしていたことが認められるから、右主張はそのまま首肯しうるものとはいえない。さらに、申請人が静岡へ出張期間中、組合活動上緊急の必要がある場合には、被申請人は組合からの申し入れにより即日申請人の帰阪を認めるとの妥協案を昭和五〇年一月中旬申請人に示したとの被申請人の主張に副う黒田課長の供述は、条件面での重点交渉を主張していた本多中央書記長が、とくに申請人をさしおいて執筆し、大阪工場支部組合員に配布した二月二六日付支部情宣ニュース(「転勤に関する件」)に、その点に関する記載が全くないことに照しても到底採用することができない。

むしろ、疎明によれば、本件出張は、従前の被申請人内における長期出張と較べても、出張先での職種が全く変ること、塗装関係技術者の出向、長期出張はこれまでにも屡々あったが、化成品技術者の長期出張は申請人の場合が始めてであること、化成品技術課から化成品営業課への配転はこれまでにも何回か行われたが、その配転先はすべて大阪営業課か、東京営業課のいずれかであって、営業所への単独配転や長期出張が行われたことはなかったことが認められ、これらの点に照すと本件出張命令は極めて異例と目すべきものであることが明らかである。

結局、本件出張命令は労働組合法七条三号の支配介入に該当するものといわざるをえず、その余の点について判断するまでもなく、無効と解すべきものである。

四  本件解雇の効力

前記のとおり、本件出張命令が無効であるとすれば、申請人が右命令に従わないとの業務命令違反(就業規則六八条六号)を理由としてなされた本件解雇もまた法律上その効力を生ぜず、無効といわなければならない。

五  申請人の賃金と仮処分の必要性

本件解雇が無効である以上、申請人は現在なお被申請人の従業員たる地位を有し、かつ被申請人に対し賃金請求権を有するものというべきところ、疎明によれば、申請人は本件解雇当時、被申請人から毎月二五日限り月平均一一万一四四八円の賃金の支払を受けていたことが認められるから、申請人は被申請人に対し、本件解雇のなされた翌日である昭和五〇年八月二一日以降毎月二五日限り右月額賃金の支払を受けるべき権利を有することが明らかである。そして、本件解雇以降被申請人が申請人を従業員として取扱うことを拒否し、賃金の支払をしていないことは当事者間に争いがなく、申請人が被申請人から支払われる賃金のみによって生計を維持している労働者であり、本件解雇によって収入の途を失い生活に困窮していることは疎明により窺うに難くないから、本案判決確定に至るまで申請人が被申請人の従業員たる地位を仮に定めるとともに、被申請人から申請人に対し前記賃金を仮に支払われるべき必要性がある。

六  以上の次第で、申請人の本件仮処分申請は理由があるから、事案に照らし保証を立てさせないでこれを認容することとし、申請費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 大沼容之)

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